もうさ、昔の映画とかを見るしかないよね、今の映画が面白くないし。ってことでもないんだけど、私は『魔女の宅急便』という映画がとても好きなので、見たいなあって思って、見たわけ。Blu-ray持ってるけどね。
この映画さ、面白くてウケる。こんな面白い映画あるんだこの世に。まずアバンタイトルが良すぎるだろ。飛んでる箒の上で黒猫がラジオのスイッチ入れるとか、おしゃれ〜。なんかもう、これ見てればよくね?『スーパーガール』とかマジ何。最近は他にも、少女が頑張ってる風の映画はいろいろあったよね。『超!かぐや姫』とか『パリに咲くエトワール』とか、何ともいえない感じのやつらがいましたが、魔女宅がおもろいですね。
私は1991年生まれなので、89年公開のこの映画を劇場で見る機会があまりなくて、初めて劇場で見ることができて、とても良かったよ。IMAXのスクリーンがデカすぎて、こういうことじゃなくね?って思ったけどね。まじで違うだろと、そう思ったけどね。
でさ、魔女宅おもれーとかって思って、YouTubeで魔女宅面白いって言ってる人の動画でも見ようかなって思ってね。「うんうんわかる〜」ってなりたいからさ。そしたらShort動画で岡田斗司夫が「キキが家を出て最初に出会う大人っぽい雰囲気の占いが得意な先輩魔女が住んでいる街には赤い風車があって、赤い風車がある街=ムーラン・ルージュは今の日本でいう所の歌舞伎町みたいなとこだから、つまり先輩魔女は身体を売っているってことが、魔女がひとり立ちするってのは大変なことってことが、知識のある大人にだけ伝わるようになっている」とか何とか言ってて、さすがにエロいこと考えたいだけのオタクすぎて、エロいこと考えたいよね〜うんうんわかる〜、って思ったね。まあ岡田斗司夫の解説とかさ、たしかにそうかも〜ってことも言ってるから、別にいいんだけど。でもさ、エロい読解だから高尚みがあるわって、文学みあるわって、ちょっと手垢がつきすぎてるよね。岡田斗司夫に限った話でもないけどさ。とにかく股から血が出ることを遠回しに表現したり、そういう表現だと読み解いたりして、深いぜ・・・みたいになったりするよね。たぶんだけど、男がとかくそう思いがちなところがありそうだよね。って思ってつげ義春の『赤い花』とか読んだりしちゃったよ。特に意味はなかったが。
どうでもいいけど、少女がひとりで身体売ってたら、腹パンおじさんとエンカウントしてすぐ殺されたりしそうだし危ないから、マジで占い一本で商いしていたんじゃないかなとか、私個人としては思うけど、腹パンおじさんって何[1]?
大前提として、『魔女の宅急便』って映画は、偉大な映画監督である宮崎駿の子供愛がいかんなく発揮されている映画ではあるよね。下品に言えば、天才ロリコンが作った優れたロリ映画。っていう角度からの語りはもはや超古臭く、最近の若めの人はそういう語り方をほとんどしなくなっている印象ではある。まあそりゃ、そうだよね。少女の描写がいかに優れているかとかを、2026年に熱く語ってる若者ががいたら、オタクだとか通り越して、キモいとかアブないとか、思われそうだし。
映画中盤に風邪を引いたのちにキキが空を飛べなくなる過程を、「この風邪ってのは初潮であることを表していて」的な話を10年くらい前に映画評論家の町山智浩とかもしている(この動画の4:02頃)し、少女から女になったから飛べなくなる(ってまっちーが言ってる)っていうロジックはぶっちゃけよくわからんが、心身の大きな変化ってのがガキどもにはあって、それって大変ですよね、みたいなことは描かれてるってのは間違いないだろ、と個人的には思う。私はやっぱり男だし、その中でもキモめな奴だから、生理とか(自身の身体におこらないこととして)知らんので関心があるし、そういう風に解釈とかしておきたい気持ちはあるが。急に股から血が出はじめたり痛みを覚えはじめるって、どんな体験なのか想像も難しいな。とりあえずびっくりとかするよね。私ならびっくりすると思う[2]。
まあさておき、岡田斗司夫だったり町山智浩だったりさ、オタク第なんとか世代的な人たちにとって、少女趣味的なものと文学的なものの距離は近かっただろうし、そうやって語ることに戸惑いみたいなものは少ないと思うのね。『魔女の宅急便』公開年と同じ89年の宮崎勤事件以降はそういう空気が後退するとかなんとか乱暴な整理ができたとして、昨今のポリコレ的空気もあって今コンテンツを語る人たちが『魔女の宅急便』をロリコンが作ったロリ映画として語らないとかはあるだろうけど、それもだからダメってことでもないだろうし。でもさ、女性にとってこの映画がどううつってるのか、私は知らないなあとか思うわけ。
友人知人の範囲の女性は、『魔女の宅急便』に性的なモチーフやらメッセージが込められているとか、全く思ってなかったわって人ばかりだったりする。んで、キキは初潮が〜みたいな話をするとなんかドン引きみたいな、そりゃそだろうって話なんだけど、真面目な話だと思いこんでるさらさこっちは、みたいなディスコミュニケーションもあったり、そもそも『魔女の宅急便』にそこまで関心がなかったりと、なんか男ばっかりこの少女が頑張る映画について熱心に考えてるように思えてくる。みたいなことをね、リバイバル上映きっかけで考えたわけ。女性が書いた児童文学をもとにしたアニメーション映画でもあるわけでさ、そこに疑問を持ったりしたわけですよ。
ロリコン的な文芸っぽい語りをしなくなったことで、この映画はアニメーションとしての質の高さや革新さ、とりわけ空を飛ぶ描写の説得力についてばかり語られることになっている。でもそれって、宮崎駿の他の映画で語られることとほとんど変わらないじゃん。この映画にしかない要素をとりこぼしている気がしてならない。それはそれで不自由すな、と思う。かといって、自分ロリコンなんで語らしてくださいってのもしんどいだろ、そんなん。じゃあ今このすげーいい映画を、どう語ったらいいんだろう。結構むずかしくない?海外からの評価だって、この作品の場合少女のパンツとかがスカートめくれて見えまくってるから怪しそうじゃない?まあこのへん、世の中の気まぐれでどうなるかわからないけど。
そんでもって、金曜ロードショーを録画できる環境も各家庭になくなっていき、ストリーミングサービスで気軽にジブリ作品を楽しめなくなっている謎の国である日本では、ガキどもがジブリ映画を見なくなってるだろうし、こうなってくるとすごい勢いで作品は古びていきそうじゃん。そしたら、このいい映画(と私が思ってる)を健全に語り継いでいくことが、難しくなっていくんじゃないかなあ。そんな憂いを抱きましたっていう話でした。
にしてもキキってほんとかわいいんだけどさ、なんならトンボもかわいいよね。萌え大江千里って感じ。こいつら江戸川コナンと工藤新一なわけじゃん[3]。なんていうか、時空歪みすぎだろ。




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