「ドパガキ」という言葉がアクチュアルだと言ってた奴らは「ANOTR」の『Withness』をどう聴いているの?

「ドーパミン中毒のガキ」がどうのこうのでMrs. GREEN APPLEがなんちゃらのXのポストから始まった「ドパガキ」という言葉とそれにまつわるあれこれ。件のポストが2024年末なのを考えるとあっという間に一般会話でも通る言葉になった印象。まあそれだけ、今の社会状況の芯をとらえている表現だとも言えるし、私自身も面白い言葉なので使うけれど、わりと真面目に思うが、「ドパガキ」という言葉は本当に「今」を捉えられているのだろうか。

元ネタのポストが音楽に対する評価として「ドーパミン」がどうのこうの言っているので音楽の話を続けるが、つまりは客を飽きさせないようなポップスの作り方がどんどん過剰になっていってるって話なわけで、そういった傾向は今に始まったことではないし、なにをもって「過剰」とするかも曖昧なまま、なんとなく印象で「ドーパミンが出そう」な仕掛けが施された作品に対して用いられすぎている「ドパガキ」。ドパガキ的なものを煙たがったり、むしろそれが最先端なノリとして賞賛したり、いろいろな人がいろいろな感じでやっていっている。後者で言えば「NORINORI CORE」というYouTubeチャンネルがマジで熱いだとか言っているが、これはAIを使って懐メロをEDM風(厳密な表現ではないがどうでもいい部分なのでこうした)にアレンジした曲を量産しているチャンネルなわけだが、AIを使っているからドーパミンが出るのか、曲の構成がドーパミンが出るのか、懐かしいしとりあえずアガるからドーパミンが出るのか、そのへんかなり雑な評価。このチャンネルに関して言えば私自身もそれなりに楽しんだりしているから、別にこれがダメだとか言いたいわけじゃない。これが「今」最先端だとするのであれば、ドーパミン中毒者向けであるのだとすれば、どの部分がそう言えるのか、はっきり言ってくれねーと、困っちゃうんだけどーってワケ。

そもそも、客を飽きさせないポップスの作り、とりわけJ-Popと呼ばれるもので限定した上でいえば、んなものざっくり15年前から指摘されていたものだ。インターネットが普及し、動画配信サイトへのアクセスが増え、Appleが音楽配信サービスを始め、人々がスマートフォン出音楽を聴くようになったころから、作家が発表する楽曲"単体"へ求められるものが増えた。もう言われなくなって久しい表現だが、いわゆる「B面」と呼ばれるような曲は今後なくなっていくんじゃないか、なんてことを堀江貴文が『まな板の上の鯉、正論を吐く』(2010)で書いてた、気がする、めっちゃ昔に読んだから記憶は定かではない。ホリエモンがそんなこと言ってた気がするなあ、うんうん、コブクロの楽曲を参照しながらそんなことしていたと思うなあ。ちょっと今度確認しておくわ。それはそうと、堀江貴文って人間についてあまり知られてい事実だけれど、彼は音楽とか別に専門の人間じゃないわけで、そういうやつが2010年ごろから言ってるわけね。で、その後実際音楽市場がどうなったかって、まあいろんな見方があるとは思うが、やはり曲単体で売られるようになったわけで、ミュージシャンの仕事は一曲にいろんなものを詰め込む必要が出てきて必然的に過剰になっていった。っていう整理のされ方なんて、ゴマンと見てきただろーって私自身も思うが、じゃあ今ドーパミンとか言ってるやつは、この流れの上にあることは前提として、ドパはどう違うのって、話ですわ。(A面っぽい曲が量産される背景にはドラマとのタイアップ曲が大量に作られるとか、そういう話も、あるわけですがー)

なんとなーく、私の直感で言うけれど、要はパチンコみたいなものをイメージして「ドーパミン」とかいってるんでしょ、どうせ。ギュインギュインギュイン!!!!ダン!!!ダン!!!ドバアアアアアン!!!みたいな?パチンコあんま詳しくないけど、そういう感じでしょ?常に刺激を脳に与えて、興奮状態が続くっていうやつ。じゃあ「パチンコ」的とか言えばよくね。というか、パチンコ的な演出はのちにソシャゲのガチャ演出に転用されるわけで、そのソチャゲ的な刺激は10年代が全盛期だったと言えるけれど、それと今言われている「ドーパミン中毒」の違いについて、私は知りたい。私はよくわかっていない。誰か教えろ。(誤解を恐れてここで挟み込むけれど、これは件のポストについての批判ではない。それを受けて「ドパガキ」という言葉がなにかしら大事な切り口だとしたいろいろへの批判でしかない)

話はズレるが、先述した「NORINORI CORE」的な、AIが簡単に(NORINORI COREだけじゃないが、「AIが簡単に」とか言えるような創作プロセスなのか実際のところ結構疑わしいわけだけど)作った作品へ、それが軽薄なものであると認めつつも、あるいはだからこそ、そこに酔狂していくようなアンビバレントな感覚を、私たちはつい最近(…最近???)「ヴェイパーウェイブ」とかいうやつでやっているはずで、「ドパガキ」とそれを結びつけてあまり語られていないのがデカハテナ。大量消費社会の中で資本主義的なチープさの中にアイデンティティを見いださざるを得ないのんな…っていう切実さはそのままAIがアウトプットするもろもろが溢れる現代でも、しっかり続いている問題なはずで、もう終わったものではあるってことになっているが、私としてはやっぱりまだ、全然終わってねーとも思ったが、まあ終わってるのかもなとも「ANTOR」のアルバムを聴いたりして思ったという話はもう少し後に書かれる。

生成AIが粗製濫造するものであふれる世界を「ヴェイパーウェイブ」的な感性で捉え直した作品は、私は東京真中の『ブレインロット feat. 重音テト』しか知らない。この楽曲はヴェイパー的感性と結びついたインターネットミーム「リミナルスペース」と、生成AIが創り出す不気味な空間とを重ね合わせ、「ブレインロット」という英語圏のネットスラングを使いながら、ネット上のAI的なもろもろへ酔っていく感覚を依存症の見立てで表現し、そしてその上で重音テトを用いたクレバーな楽曲。

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「ブレインロット」はネットスラングとしては割と古くからあるらしいが、『イタリアンブレインロット』(AIを使った奇妙なキャラクターや物語や楽曲群の総称)の流行によって日本語圏でも知られるようになった。楽曲もMVもクオリティが高くて今年はかなりこの曲を聴いている私なのだが、コーラス部分でシンセのリフがキモいリズムになったりすることで酔っている感じがあるなーとかの感想もあったりするんだが置いておくとして、この楽曲は「AIが作るもので溢れる世界」への備えとしてもう一度「ヴェイパーウェイブ」的な感覚が呼び起こしといた方がよくね?みたいな主張にも見えるわけ。というか、AIでオッケー!!!となるためには、ヴェイパー的な心持ちじゃなくてもいいのだが、それがオッケーであるとするために乗り越えるものがいくつかあるはずで、っていうか、そのひとつが、「ドーパミンが出るからヨシ!」ってことになるんだと思うんだよね。もちろん、このままいけばの話ね。言ってること伝わるかな。つまり、今後より過激になっていくであろう表現やその供給の過剰さに対して、それを肯定する文脈として「ドーパミン中毒」で何が悪い?という開き直る準備として、ドパガキだとかが"展開された"ことに今後なるっていう話。

そもそもMrs. GREEN APPLEの楽曲とAI的なものが同じような性質を持っているかどうかも曖昧なままこの私の文章は書かれているので、まあテキトーっちゃテキトーなんだけれど、ドパガキコンテンツとしてAI的な「NORINORI CORE」を紹介したりしてるのは私じゃねーからな、って感じで本題の「ANOTR」の話。

今UKでめっちゃ流行ってるらしい、いろんなDJがいっぱいかけててすごいって感じのANOTRというユニットによる『Talk To You』って曲がある。それが収録された『Withness』というアルバムが2026年の6月にリリースされている。このアルバム全体に言えるのだが、めっちゃハキハキしたハウスですごい。ハキハキしているって印象には様々な理由があるが、とりあえずリズム、とりわけハイハットなどの高音域のビートがめっちゃ強い。それに支えられて展開するのは、どこか懐かしかったりエモかったりするディスコやソウルの要素を散りばめたハウスミュージック。私はもうここまで書いて疲れているのでハウスミュージックについては詳しく書かないけれど、ようはループしてんです。ループ。音楽の気持ちいところをずっとループしようぜっていうジャンルです。踊るためにね。
話題の『Talk To You』は本当に名曲で、冒頭のやかましいシンセサイザーのリフから一転、心地よいギターのメロディが抜けていってアゲアゲ。8月はずっとこれ聞いてたよ、元気なかったから。

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んでね、この『Withness』ってアルバム、とりあえず作りは優等生っぽいわけ。ハウスの文脈をしっかり押さえつつ、参照するものもその表現も安っぽくないし、その幅もしっかり持たせている感じ。だからといって聴いたことがあるような地味なまとまり方もしないし、DaftPunkが4枚目のアルバムでやったような神経質な感じもなく、柔軟さや上品さが嫌味っぽくなく表現されている。でもとにかくノリノリでアゲアゲ。『Talk To You』なんかはEDMが流行ってポップスと距離が近くなったことすら踏まえて、なんとなく歌えるような曲にすらしていたりと、隙がない。かといってこれが「ドパガキ」的なものでもなく展開としてはハウスそのもの。すぐに派手な展開になったりはしないし、「ドーパミン出せばええんでしょ」というひねくれた楽曲はひとつもない。そりゃ国が違いますから、って話はもちろんあるけれど、UKで流行ってる(Apple Musicのデイリーランキング上位に入っている)アーティストってところが気になるところ。
雑にいうと「陽キャ」っぽいの。マジで雑に言っているけれど、この「陽キャ」っぽさ、「過剰さのない前向きなムード」は私の中ではかなり新鮮で、そして力強いなと感じるわけ。細かいニュアンスの話になって、私の能力では今ここでそれを正確に表現できないので申し訳ないのだが、今までの話を踏まえていえば、ヴェイパー的な消費への自意識みたいなものとANOTRがやっていることは、かなーり関係ない表現で、ともすればAI的ものを乗り越えてしまえそうな前向きさを感じてしまったんですわ。
ま、なにが言いたいかというとですね、この『Withness』というアルバム、マジいいんで、聴いてみてくださいな、って話、だったんですねえ、え〜、驚き〜。

っていうかさ、マジ関係ないんだけど、『スーパーリアル麻雀VR』が話題だったからやってみたんだけど、マジでボリュームなくてさ、なんなの。おっさんたち盛り上がりすぎだろ。騙されたわ、マジで。
おしまい。

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